式内 来待神社
概 要
社 号 式内 来待神社
読み:きまちじんじゃ
江戸時代は「大森大明神」「大森三社明神」と称していた
延喜式神名帳 式内社 出雲国意宇郡 来待神社
読み:古 キマチ、現在 きまち
所在地 島根県松江市宍道町上来待241
旧地名 出雲国意宇郡
御祭神
中央殿 大物主櫛甕玉命(おおものぬしくしみかたま のみこと) 大己貴命の別称
左殿 積羽八重事代主命(つみはやえことしろぬし) 事代主命は通称恵比寿神
右殿 五十猛命(いそたける のみこと)
例祭日 10月28日
社格等
『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
出雲国 187座(大2座・小185座)
意宇郡(オウ):48座(大1・小47)
『出雲国風土記』「支麻知社」
近代社格制度 旧郷社
創建 年代不詳
本殿様式 三殿大社造
境内摂末社(祭神)
和名佐神社・屋風呂神社・御内神社
一口メモ
島根半島や県道53号線は道路に「神仏の通ひ路」の標識がつき、出雲国神仏霊場の20社寺の入口の案内サインを合わせて整備されている。出雲から松江に通じる主要山陰道でありながら、この3つのルートで回りにくいため宍道町と斐川町が最後のルートとなっていた。玉造温泉の西隣が宍道町来待で、来待をきまちと読むと知ったのはつい最近のこと。松江市玉湯町から同宍道町にかけて採れる来待石という凝灰岩で柔らかいため加工しやすく神社の石灯籠や狛犬に使われる石はここなのでさぞ来待と名乗る当社もその来待石をふんだんに使われているのではないかと期待を抱いた。
歴史・由緒等
3つの本殿を渡り廊下でつなぐ珍しい本殿だ。
風土記の「支麻知社」に相当する。
大物主命が大和国三輪より来ますと人々が待つたことから、社を来待神社と云ったと伝承されている。
本殿は3殿あって、中社大物主命、左社積羽八重事代主命、右社五十猛命を祭つている。
-「延喜式神社の調査」さんより-
境内・社叢
社頭 社号標も来待石
鳥居 鳥居から石段を登ると平地があり、美しい社叢と参道
さらに石段を登ると境内
狛犬 来待石の産地にある社ならではの立派な来待石構え獅子型狛犬
境内全容 随神門
拝殿 本殿と左殿
右殿 左殿
拝殿扁額 手水鉢
右手境内社
左手境内社
地名・地誌
来待(きまち)
宍道町の西半分が宍道、東半分が来待地区。
来待石
宍道町来待地区には、1400万年前に形成された凝灰質砂岩いわゆる「来待石」と呼ばれる良質の石材が産出され、これが地場産業である国指定の伝統的工芸品、出雲石灯ろうの原材料として、広く知られています。
また、この凝灰質砂岩の層はとても厚く、世界でもまれな埋蔵地帯でもあります。
歴史的には古墳時代の石棺に使用され中世石塔、石仏、近世釉薬(石州瓦の上薬)、建材、灯ろう、石臼、かまど、棟石、墓石などに使用され身近な所にはいつも来待石がありました。
特に江戸時代、松江藩主は御止石として藩外に持ち出しを禁じたほど重要視致しました。松江城をはじめ城下町の至る所に来待石は使用されています。
(来待ストーン公式サイトhttp://www.kimachistone.com/5.html)
出雲狛犬と来待石
細工しやすい石は古くから灯籠や狛犬などの石造物の材料として重宝されましたが、凝灰質砂岩なので脆いのが難点。出雲狛犬は風化が早く、今日では完全な姿を見られるもののほうが少ないくらいです。
現在では地場産業として「来待石灯籠」を振興させているようですが、「来待灯籠の寿命は人の寿命と同じくらい」と言う石工さんもいます。
来待石(出雲石)で作られているため出雲型と呼ばれていますが、江戸時代から北前船にのって北海道から九州まで、広く日本海側に運ばれたため、「出雲地方の狛犬」というよりは、「日本海沿岸を代表する狛犬」と言ったほうがいいでしょう。
出雲は、腰を上げて今にも飛びかかろうというポーズの「構え獅子」型(crouching style)と、普通に蹲踞しているお座り型(sitting style)に大別されます。
人によっては前者を「出雲」、後者を「丹後」などと呼んでいますが、顔の特徴が同じであり、使われている石が来待(きまち)石といって砂岩系の脆い石であること、北前船で日本海沿岸に広く運ばれ、建立されていることなど、ポーズ以外は共通点が多いので、ここではひとまとめに「出雲」としてくくり、ポーズの違いを明確にして限定する場合、前者を「出雲構え獅子」、後者を「出雲丹後」と呼ぶことにします。(狛犬ネットさんより)
但馬・丹後の神社にも来待石狛犬が多く使われているのを見かけることができる。
地 図
交通アクセス・周辺情報
参 考
「延喜式神社の調査」さん、他
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